暴君の扱い方

トランプ新政権が誕生して早くもその危うさが露わになっていますね。

もはや暴君と言っても過言ではないでしょう。

しかしそんな暴君もせっかく就任したばかりなのでここは前向きに米国民は暴君にどう接するべきかを考えてみます。

 

暴君の心理

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(Photo:johnhain | Pixabay

 

暴君の行いと言えば古くから交渉相手や身内親族問わず高圧的もしくは卑劣な態度で接し、少しでも反発があれば邪魔者を消し去る事もいとわない傍若無人な振る舞いである。

私の乏しい歴史上の知識から考えても実際、暴君と呼ぶにふさわしいであろう織田信長ヒトラー金正日らはさんざんな振る舞いをしている。(ただし何をやったかはよく知らない。)

 

彼らは何らかの幻想的ではた迷惑な使命感や強迫観念、とにかく強い権力がほしいという支配欲、とにかく名を上げたい、何か功績を残したいといった自己顕示欲、民に認められたいという承認欲求、また反乱や失脚に対する怯えや不安からいわゆる暴君と呼ばれる行動をとってしまうと考えられる。

 

現代でも政治家、各種タレント、youtuber等々も同質のものを持っている方も少なくないのではないだろうか。

暴君は特別な存在になろうと躍起になっているが現実問題として代わりなどいくらでもいる。

彼らは彼らの正しさを証明しつつ功績をアピールし人気を欲しいままにしたい。もしくは言う事を聞かせたい。

しかし暴君の浅はかで一方的な意見ではうまくいくようには思えない、仮にうまくいきそうでも失脚を狙う者にとってうまくいってもらっては困る。

当然のごとく邪魔をしようと策略するものが現れ何とかして阻もうとする。思い切ったことをやろうとすれば当然反発の力も強くなる。

そこで何とか思い通りの行動で成果を上げたい、いや、上げなければならない暴君は不安と焦りに駆られ、暴君たる行動に移るのだ。

 

暴君にとって暴君らしき行動をとるのはその環境ゆえに必然とも言えるのだろう。

もし納めるべき国や政治の事を十分に把握していないなら尚更だろう。"俺は偉大な大統領になるだろう!"、”俺のほうが視聴率をとっていた!!”、”メキシコとの国境に壁を作る!!”等々何とか民に認められようと必死なのだ。やっていることが正しいかは置いておいてこの心理自体はかわいいものである。

 

支持者の心理

現代人の間でもこうした歴史上のいわゆる暴君人気も高くトランプ氏に対する一部の熱狂的支持者が出てくるのも当然である。

暴君に対する熱狂はそれだけ一部の者にとってかゆいところに手が届く発言をしてくれているという事だろう。

では支持者にとってこの”かゆいところ”というのがなんなのかというのが考えどころであるが、単にやることが面白いからという事を除いても様々な理由は当然あるだろうがおそらく最も重要なポイントは"邪魔者を消し去る"という普通なかなか社会的に認められない事を実現してくれているというところにあるのではないかと思う。

 

いわゆる暴君の行動は少なくとも表向きは非常にわかりやすく人の気持ちを汲むのがあまり上手くない者にとって単純明快で理解もしやすい。

邪魔者を消し去ってでも理解されずとも彼らにとっての正義を貫こうとする姿勢におそらく共感や感銘を受けるのであろう。”自分もあんな風に人生を好きに生きたい!”、”自分も(一部の支持者に)神のように崇められたい!”、”あの偉大な事を成し遂げた人物と自分の考えが同じだ!”、"自分も同じように偉大な人物なのだ!"、"少数派でも権力さえ持てば偉大な人物になれるのだ!"根拠もないこうした感情が強い支持者の自己効力感や承認欲求を刺激し熱狂が熱狂を呼ぶのであろう。おそらく熱狂的な支持者には政治オタクや暴力的な趣味を持つ等、一般的には関わりづらい人物も多いだろう。

 

しかし自分の存在を認めてくれる偉大な存在が現れた支持者にとって不支持者の意見などどうでも良いのである。なぜならば暴君の意見は彼らにとって正しいのだから・・・。

 

非支持者の心理

では非支持者はなぜ暴君を支持しないのか。

 

積極的な非支持者はいわゆる”倫理”にうるさい。しかも法的な正しさや一般論的な正しさ、”正義”のみに着目している。

言葉が汚い者や発言や行動が幼稚だと思われる者はロクな者ではない。過去の歴史から見ても荒々しい人物像の者は破滅的で君主とするには危険であるという認識を持っているはずだ。ごもっともな意見だ。

 

しかし支持者は間違いなく存在する。なぜそうなのかなんて知ったこっちゃない。多数派の非支持者にとって少数派の支持者の気持ちなんかどうでもいいのである。

非支持者、とりわけ積極的な非支持者はいわゆるリア充である事が多く、要領よく振る舞い社会的に認められない事はバレないように行う事に長けていることが多いだろう。

倫理と法的な正しささえ守り社会的に認められない事をバレずに行うため、気持ちを汲まなくていいと受け止めた相手に対しては積極的にひどい仕打ちを行う。

分かりやすく言えばいかにリア充に見えるかを気にし、リア充ぶりでマウンティングを行うリア充オタクである。

 

積極的な非支持者は社会的な賞賛を求め積極的に暴君不支持を訴えそれを広く呼び掛ける。彼らのやることは法的にも社会的にも正しいと思い込んでいるためやる事に容赦がない。何故相手が暴君支持に至ったかも考えず打ちのめし引きずり下ろしマイワールドを取り戻そうとする。

"トランプは私たちの大統領ではない!"、”みんなも同じ意見だよな!?(キョロキョロ)”、”法律こそ正義!倫理こそ正義!”、”われこそは正義!ヒーローだ!!悪を打ちのめさなければ!!”、といった具合で大して考えもせず自己暗示をかけながらこういった上辺の正義を振りかざし熱狂する。

 

積極的非支持者は正直のところ暴君の側についてしまうような者には消え去ってくれる事を望んでいる。そして正義であるはずの法律に反する不法移民に関しては擁護するという矛盾など彼らは全く気にならないのだ。

  

国民は暴君をどう扱うべきか

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(Photo:NGi | Pixabay

先に書いたように暴君は不安でいっぱいなのだ。

"俺に上手くできるだろうか"、"失敗をしたくない"、”恥をかきたくない”、ましてや”邪魔が入ったせいで上手くいかなかったなんて事になってほしくない”。

といった心理から君主という地位についたからにはこの権力を存分に生かしてやると意気込んでいるはずだ。それがかえって反発を招くという実感も持てないまま・・・。 

 

この状態は暴君を利用してやろうと考えている者達(仮に居た場合)にとっては非常に危険な状態と言える。暴君の不安の受け皿となり信用させたうえで暴君にあらぬ事を吹き込み実行させてしまう可能性すらある。

 

本来は民は正義のルールによって決まった大統領に文句をつけることはふさわしくない。ましてや単なる抽象や暴動、でっち上げ、支持者に対する差別などもってのほかだ。いくら気に入らないからと言っても暴君とやることが同じになってしまうのはあまり望ましくない。

 

彼を米国の大統領として成長させるには支持者がなぜ彼を選んだのか深く理解をし、トランプ氏の立場を脅かす存在ではないという事を示す必要があるだろう。その上で正すべきところに関してはしかるべき抗議をし、実行すべきことは積極的にサポートすると言う空気を国全体として作っていく必要があるだろう。

 

もしそうする事が出来たら国として、最新の民主主義のサンプルとしてまさに先進国としての偉大な国家が生まれるのではないだろうか。

 

民主主義とは国民が国、つまり政治家や国のトップをメンタルと行動をコントロールする為にある世界であるはずだ。裏を返せば選ばれた政治家やトップが国の世相を表していると言える。

トランプ氏が偉大な大統領になり偉大なアメリカを取り戻せるかも、想定通りの暴君のまま終わるかも国民がいかに彼を扱い操るかにかかっているのではないかと私は思う。

 

トランプ政権が早期に失脚した場合

トランプ政権が早期に失脚した場合、暴君非支持派はより調子に乗り見かけ上は落ち着き米国に対する注目度は下がるだろうが、水面下での差別や偏見はより深まるのではないだろうか。

彼が政権を握るのにふさわしくないとして彼が選ばれてしまった理由をしっかり認識し改善した上で引きずり降ろさなければ民主主義とは何なのか、何のための選挙だったのかそういった疑念やあらゆるものに対する不信が増すばかりのような気がしてならない。

  

最後に

冒頭にも述べていますがこの記事はあくまでも私の偏見を踏まえてトランプ政権を前向きに捉えた場合の事を書いているにすぎません。

政治なんてものは所詮は世相を表したものでなるようにしかならないので何をどう考察しようが無駄なのです。

ましてや人の感情や行動をコントロールし上手く扱おうなんて事もおこがましいのも良いところです。

 

政治なんかに熱狂するより、身近な人はもちろん、会ったことも見たこともない誰かの感情をわけ隔てなく大切にする事が最も重要で、それこそが政治として最も正しい結果を生むのではないでしょうか。

 

 

 

 

おわり